今から二千年以上前
鍼灸医学が古代中国で誕生
六世紀頃
鍼灸が日本へ伝わる
・大和朝廷期に中国から朝鮮半島経由で伝来したといわれている。
・日本初の本格的な律令である『大宝律令』(七〇一年)に医博士・医師などとともに、鍼博士・鍼生などの官職が設けられていたことが記されている。
平安時代(七九四~一一八五年)
鍼博士・丹波 康頼(たんば の やすより)が日本現存最古の医学全書『医心方』を編纂
・『医心方』は中国の多くの医学書をもとに作られ、全三十巻からなり、そのうち二巻は鍼灸に関することが記されている。
鎌倉時代(一一八五~一三三五年)
僧侶・梶原 性全(かじわら しょうぜん)が薬方と灸法を中心とした医学書『万安方』や『頓医抄』を著す
・鎌倉時代の医療は、学識者であった僧侶による灸法中心の僧医。
室町時代(一三三六~一五七三年)
鍼灸は一時衰退するが、後期に再び盛んになる
安土桃山時代(一五七三~一六〇三年)
御園 意斎(みその いさい)が金や銀の鍼を木槌で叩いて打ち込む打鍼術を発案
・打鍼術は日本独自の鍼の始まり。後の杉山和一の管鍼法の先駆けとなる。
・江戸時代後期には打鍼術は衰退するが、現在でもこの方法を用いている鍼灸師がいる。
江戸時代前期(一六〇〇年代後半)
盲人の鍼師・杉山 和一(すぎやま わいち)が盲人に対する鍼灸の教育制度を確立。また、現在日本で主流の、鍼を管に入れて操作する『管鍼法』を作る
・杉山和一は、五代将軍綱吉の許しを得て世界初の視覚障害者教育施設「鍼灸講習所」を開設し、本格的な教育を行う。
・杉山和一が刺鍼術を習得しようとしたが上達せず、山瀬琢一に破門を言い渡され実家に帰る途中、江ノ島で偶然石につまずいて転び、竹筒に入った松葉が痛みもなく足に刺さったことから、『管鍼法』が生まれたといわれている。
明治時代(一八六八~一九一二年)
西洋医学が導入されることにより日本の伝統医学は非正統医学とされ、鍼灸は主として視覚障害者を対象にした営業資格となり、中でも灸治療は民間療法として広く普及する
大正時代(一九一二~一九二六年)
医学者の鍼灸研究の研究成果が多く発表される
昭和二十二年(一九四七年)
現在の「あん摩マッサージ指圧師、はり師きゅう師等に関する法律」の原型となる法律が制定される
昭和三〇年代(一九五五~一九六五年)
海外(特にヨーロッパ)の鍼灸団体との学術交流が盛んに行われる
昭和五十四年(一九七九年)
WHO(世界保健機関)が鍼灸治療の適応疾患となる四十三疾患を発表する
昭和五十八年(一九八三年)
鍼灸の世界的な学会の連合体である『WFAS(世界鍼灸学会連合)』が創設される
平成元年(一九八九年)
経脈・経穴の名称などがWHOジュネーブ会議で正式に承認される
・鍼灸医学の国際的な広がりを受け、用語の標準化が始まる。その結果、三六一経穴(ツボ)、四十八奇穴および頭鍼に関する用語などが定められ、WHOに正式承認される。
平成九年(一九九七年)
NIH(米国国立衛生研究所)が手術後の吐き気や痛み軽減など一部の病態・疾患に鍼灸治療が効果があることを認める声明を発表する
・この声明が大きな反響を呼び、アメリカだけでなくヨーロッパでも鍼の臨床研究が盛んになる。そして、ドイツでは腰痛などに対する鍼治療が保険適用となる。
平成二十年(二〇〇八年)
WHO西太平洋事務局が鍼灸治療で用いる経穴の位置を国際標準化
・平成十五年(二〇〇三年)からWHO西太平洋事務局により伝統医学の国際標準化プロジェクトが開始される。
・日本・中国・韓国の協議により、平成二十年(二〇〇八年)に経穴の位置が公式に定められる。そして、国際的な標準化は現在も進められている。